3月3日、おばあちゃんが亡くなりました。2日にお見舞いに行った時はちゃんと会話も出来ていたからびっくり。少し覚悟はしていたけど、突然だったから、まだもういないんだという実感がわきません。
ばあちゃんとの思い出を忘れたくないから、自分の記録用として残しておきます。
父方の祖母は父が高校生の時に亡くなっているので私は会ったことが無く、祖父は2人とも私が7歳の時に亡くなっているので、母方の祖母としか関わりはありませんでした。
実家から歩いて数分のところに住んでいたから、会おうと思えばいつでも会えました。
よく祖母が言っていたのが、私が5歳くらいの時、自宅から祖母の家まで1人で歩いて向かうことになり、母が祖母に電話して1人で向かっていることを伝えると、祖母は外に出て私が歩いて向かっているのを待っていてくれたそうです。私は祖母の姿が見えると走り出し「走ると転ぶよー!」と言っても聞かず、走って祖母に抱き付いていったそうです。それをたまに懐かしそうに、嬉しそうに話してくれて、覚えていてくれていることが嬉しかった。
私が中学1年生の時、母が1か月入院していたことがあり、その間毎日朝と夜におかずをタッパーに詰めて持ってきてくれてました。本当にありがたかった。おばあちゃんが作るカレー、餃子、コロッケ、から揚げ、昆布巻、たけのこご飯、おからの炒り煮、あんころ餅、ニシン漬…どれも大好きだった。
6年前、祖母がすい臓がんで入院し、手術をすることになって、今まで大きな病気なんてしたことが無かったから家族も動揺したけど祖母は「元気になって帰ってくるから」と言ってくれてこっちが安心したなんてこともありました。退院後、数か月に1度定期的に検査をするため通院するようになり、1度たまたま私が平日休みになったため車で送り迎えをしたことがありました。診察を待って、2人でお昼を食べて帰ってきたのですがその時に車中で言った祖母の言葉が忘れられなくて。「病気になったのは嫌だったけど、病気になったらみんながお見舞いに来てくれるし、定期的に会いに来てくれるようになった。今までは近くに住んでいてもあまり会わなかったから、会えるようになったことが病気になって良かったことかな」って、嬉しそうに話していて。
私たちは定期的に会っていると思っていたけど、1人で暮らしている祖母にとっては寂しかったんだなと思って反省しました。それから私は、予定がなければ毎週土曜日に祖母に会いに行くようになりました。朝に実家に帰って1時半くらいに祖母の家に行って3時半くらいに家に帰る。2時間くらいだけど祖母は私が行くと「待ってました」と言って迎えてくれて、お茶を出してくれて、お菓子も用意してくれて。帰るときは畑で取れた野菜や、多く作ってくれたお惣菜を分けてくれたりしてました。毎週行くから話すことが無くてもぼーっと一緒に過ごしたり、一緒に昼寝したり。ばあちゃん、この頃は寂しくなかったかな…。
私が公務員試験に合格し、公務員になった時は誰よりも喜んでくれて、近所の人や知り合いに言いまくっていたらしく、毎週行くたびに良かったねと言われてむずがゆくなったり。
職場の話をすると「そこに良い人はいないの?」とちらっと言われたり。多分気を遣って言わないでいてくれたんだろうけど、私が結婚しないのを気にかけていたんだろうな。
でも、祖母が以前そういう話をしたときに私の事を「こんなにいい子なのに」と言ってくれて、それだけで充分だと思いました。ばあちゃんに良い子って思われてるならそれだけで良いって。花嫁姿を見せたかったけど、相手がいなければしょうがないからなー…。
入院してからも仕事の事を愚痴ると「なっちゃんは頑張り屋だからね」なんてこっちが励まされて。自分だって辛いのに。お見舞いに行ったらいつも「来てくれたの」っていってくれていたばあちゃん。
私の手を触って「すべすべだねー」ってほめてくれたばあちゃん。
3月1日に87歳になったばあちゃん。
2日に「ばあちゃん、昨日誕生日だったでしょ。おめでとー!いくつになったんだっけ?」「忘れた」なんて話してたのに。私が帰る時にいつも手を振ってくれるのだけど、2日はいつもより長くずっと手を振ってくれていたのは何か意味があったのかな…
今日、急に容体が悪化したらしく、そこまで苦しんではいなかったのかなと、それは救いだったかなと勝手に思ってます。土曜日にずっと握ってさすっていた左手はむくんでいて、足も凄くむくんでいて、辛かっただろうな。
もう痛くないし、苦しくないよ。入院してからちょうど1年。きっとじいちゃんがもう苦しまなくて良いよって呼んでくれたのかもしれないね。
ばあちゃんのあの優しい声で「なっちゃん」って呼ばれないんだと思うと寂しい。
でも、もう苦しまなくていいんだと思ったら良かったとも思う。
向こうで27年ぶりにじいちゃんに再会出来たかな。ひ孫も1人そっちにいるから寂しくないね。
今まで本当にありがとう。87年間、お疲れ様でした。
ばあちゃん、大好き。
ばあちゃんとの思い出を忘れたくないから、自分の記録用として残しておきます。
父方の祖母は父が高校生の時に亡くなっているので私は会ったことが無く、祖父は2人とも私が7歳の時に亡くなっているので、母方の祖母としか関わりはありませんでした。
実家から歩いて数分のところに住んでいたから、会おうと思えばいつでも会えました。
よく祖母が言っていたのが、私が5歳くらいの時、自宅から祖母の家まで1人で歩いて向かうことになり、母が祖母に電話して1人で向かっていることを伝えると、祖母は外に出て私が歩いて向かっているのを待っていてくれたそうです。私は祖母の姿が見えると走り出し「走ると転ぶよー!」と言っても聞かず、走って祖母に抱き付いていったそうです。それをたまに懐かしそうに、嬉しそうに話してくれて、覚えていてくれていることが嬉しかった。
私が中学1年生の時、母が1か月入院していたことがあり、その間毎日朝と夜におかずをタッパーに詰めて持ってきてくれてました。本当にありがたかった。おばあちゃんが作るカレー、餃子、コロッケ、から揚げ、昆布巻、たけのこご飯、おからの炒り煮、あんころ餅、ニシン漬…どれも大好きだった。
6年前、祖母がすい臓がんで入院し、手術をすることになって、今まで大きな病気なんてしたことが無かったから家族も動揺したけど祖母は「元気になって帰ってくるから」と言ってくれてこっちが安心したなんてこともありました。退院後、数か月に1度定期的に検査をするため通院するようになり、1度たまたま私が平日休みになったため車で送り迎えをしたことがありました。診察を待って、2人でお昼を食べて帰ってきたのですがその時に車中で言った祖母の言葉が忘れられなくて。「病気になったのは嫌だったけど、病気になったらみんながお見舞いに来てくれるし、定期的に会いに来てくれるようになった。今までは近くに住んでいてもあまり会わなかったから、会えるようになったことが病気になって良かったことかな」って、嬉しそうに話していて。
私たちは定期的に会っていると思っていたけど、1人で暮らしている祖母にとっては寂しかったんだなと思って反省しました。それから私は、予定がなければ毎週土曜日に祖母に会いに行くようになりました。朝に実家に帰って1時半くらいに祖母の家に行って3時半くらいに家に帰る。2時間くらいだけど祖母は私が行くと「待ってました」と言って迎えてくれて、お茶を出してくれて、お菓子も用意してくれて。帰るときは畑で取れた野菜や、多く作ってくれたお惣菜を分けてくれたりしてました。毎週行くから話すことが無くてもぼーっと一緒に過ごしたり、一緒に昼寝したり。ばあちゃん、この頃は寂しくなかったかな…。
私が公務員試験に合格し、公務員になった時は誰よりも喜んでくれて、近所の人や知り合いに言いまくっていたらしく、毎週行くたびに良かったねと言われてむずがゆくなったり。
職場の話をすると「そこに良い人はいないの?」とちらっと言われたり。多分気を遣って言わないでいてくれたんだろうけど、私が結婚しないのを気にかけていたんだろうな。
でも、祖母が以前そういう話をしたときに私の事を「こんなにいい子なのに」と言ってくれて、それだけで充分だと思いました。ばあちゃんに良い子って思われてるならそれだけで良いって。花嫁姿を見せたかったけど、相手がいなければしょうがないからなー…。
入院してからも仕事の事を愚痴ると「なっちゃんは頑張り屋だからね」なんてこっちが励まされて。自分だって辛いのに。お見舞いに行ったらいつも「来てくれたの」っていってくれていたばあちゃん。
私の手を触って「すべすべだねー」ってほめてくれたばあちゃん。
3月1日に87歳になったばあちゃん。
2日に「ばあちゃん、昨日誕生日だったでしょ。おめでとー!いくつになったんだっけ?」「忘れた」なんて話してたのに。私が帰る時にいつも手を振ってくれるのだけど、2日はいつもより長くずっと手を振ってくれていたのは何か意味があったのかな…
今日、急に容体が悪化したらしく、そこまで苦しんではいなかったのかなと、それは救いだったかなと勝手に思ってます。土曜日にずっと握ってさすっていた左手はむくんでいて、足も凄くむくんでいて、辛かっただろうな。
もう痛くないし、苦しくないよ。入院してからちょうど1年。きっとじいちゃんがもう苦しまなくて良いよって呼んでくれたのかもしれないね。
ばあちゃんのあの優しい声で「なっちゃん」って呼ばれないんだと思うと寂しい。
でも、もう苦しまなくていいんだと思ったら良かったとも思う。
向こうで27年ぶりにじいちゃんに再会出来たかな。ひ孫も1人そっちにいるから寂しくないね。
今まで本当にありがとう。87年間、お疲れ様でした。
ばあちゃん、大好き。
私は26で母が突然亡くなり、41で父が亡くなりもう両親はいません。
私の子供2人は、私の母の事は知りません。
父のことは覚えています。
私は、自分の中で両親を忘れないよう、子供達にもどんな人だったか、折を見て伝えてます。
おじいちゃんは、おばあちゃんはこんな事好きだったよ、とか、好物のものとか色々。
おばあちゃんとの思い出いつまでも心の中に大切にしまっておいてくださいね。