やがて海へと届くやがて海へと届く
著者:彩瀬 まる
講談社(2016-02-03)
販売元:Amazon.co.jp

すみれが消息を絶ったあの日から三年。真奈の働くホテルのダイニングバーに現れた、親友のかつての恋人、遠野敦。彼はすみれと住んでいた部屋を引き払い、彼女の荷物を処分しようと思う、と言い出す。地震の前日、すみれは遠野くんに「最近忙しかったから、ちょっと息抜きに出かけてくるね」と伝えたらしい。そして、そのまま行方がわからなくなった―親友を亡き人として扱う遠野を許せず反発する真奈は、どれだけ時が経っても自分だけは暗い死の淵を彷徨う彼女と繋がっていたいと、悼み悲しみ続けるが―。死者の不在を祈るように埋めていく、喪失と再生の物語。

あの日から東日本大震災が思い浮かぶのですが、「死」についてを考えさせられた気がします。亡くなった者、残された者。亡くなった人はもちろん無念だと思う。でも残された人もきっと辛い。だから、遠野君の考え方も、すみれのお母さんの考え方も、もちろん真奈の考え方も間違いではないのだと思う。人それぞれ捉え方があると思うので。
ただ、真奈のように残されてしまったからとすみれに申し訳なく思って生きていくのはなくなってしまったすみれに対しても失礼じゃないかななんて思いました。真奈は生きているのだから、前を向いていかないと。なんて思ったりしました。それも、私のエゴなのかもしれませんが。
以前も書いたことがありますが、私は大学生の時に友人を亡くしました。事故でも病気でもなくて心不全で突然の死。準備なんかしていませんでした。
事故などではなかったので、私は生きていて悪いと思ったことはないですが、ただ、生きていてつらい時に、いつも友人の姿が思い浮かびます。
私は生きているのに、いつもつらいと思っていてごめん。死にたいなんて思ってごめん。って。
だから、私はちゃんと生きているのだから、幸せだと思うような生き方をしなければ、なんて思ったりもします。「死」のとらえ方は人それぞれですよね。
真奈が少しずつ変わっていく姿が見ていて素敵でした。ちゃんと前を向き始めている姿を応援したくなりました。
私も友人のことを思い出すことは昔より少なくなりました。でも、つらい時に思い出します。ただ、つらい時にばかり思い出すのは申し訳ないとも思っていて。
いつか自分は幸せだと思うときに、友人に私は今幸せだと報告できるようになりたいとも思っています。

<講談社 2016.2>H28.4.7読了