少女を埋める
桜庭 一樹
文藝春秋
2022-01-25


2021年2月、7年ぶりに声を聞く母からの電話で父の危篤を知らされた小説家の「わたし」は、最期を看取るために、コロナ禍下の鳥取に帰省する。なぜ、わたしの家族は解体したのだろうか?――長年のわだかまりを抱えながら母を支えて父を弔う日々を通じて、わたしは母と父のあいだに確実にあった愛情に初めて気づく。しかし、故郷には長くは留まれない。そう、ここは「りこうに生まれてしまった」少女にとっては、複雑で難しい、因習的な不文律に縛られた土地だ。異端分子として、何度地中に埋められようとしても、理屈と正論を命綱になんとかして穴から這い上がり続けた少女は東京に逃れ、そこで小説家になったのだ――。
「文學界」掲載時から話題を呼んだ自伝的小説「少女を埋める」と、発表後の激動の日々を描いた続篇「キメラ」、書き下ろし「夏の終わり」の3篇を収録。
近しい人間の死を経験したことのあるすべての読者の心にそっと語りかけると同時に、「出ていけ、もしくは従え」と迫る理不尽な共同体に抗う「少女」たちに切実に寄り添う、希望の小説。

表題作「少女を埋める」を私小説なんだな…と思いながら読み進めていたのですが「キメラ」を読んでびっくり。こちらの作品の論争について、私は何も知りませんでした。C氏の書評を初めて読んだ時、私も違和感を感じました。え?そんなこと書いてた?と。老老介護のことを書いてるとも思いませんでしたし、虐待しているとも思いませんでした。お母さんがお父さんにかけた言葉は、ただ単に長い間一緒にいて、傷つけたこともあったよね、ごめんね。っていう意味なのかなと勝手に思っていました。第三者の意見としてC氏は東京の出身で、田舎の人の気持ちが分からなかったのではないかと書かれているのを見てこれが1番納得したんですよね。私はそこまで田舎の生まれではないですが都会でもないので多少の親戚間のあれこれはあります。だからと言って桜庭さんの気持ちが分かるとは言えないですが、それでもここまで闘って良かったと思います。あれは誤解を生んでしまいます。でも、だからと言って私小説を書かなければよかったのにというのも違うと思っていて…難しいですね。
私のブログを見ている人なんてほんの少しだと思いますが、それでも感想を書くときは気を付けなければならないなと改めて感じました。

<文藝春秋 2022.1>2022.3.8読了